下村良之介は1923年(大正12年)、大阪市の能楽師の家に生まれる。本名・良之助。父は大倉流の囃方として大鼓を打つ能楽師で、その父のもと、5歳より謡・仕舞の稽古を始める。

1935年(昭和10年)、12歳の時に京都に移り、翌年京都市立美術工芸学校に入学。

1941年(昭和16年)から京都市立絵画専門学校に学び、翌々年、年学徒動員のため繰り上げで同校を卒業。終戦後の1948年3月に、日本画壇の退嬰的アナクロニズムに反対すると宣言して“パンリアル美術協会”が山崎隆・三上誠・星野眞吾ら京都の若手日本画家を中心に結成される。新たな芸術活動を目指していた下村良之助も同年10月、星野眞吾の推薦により大野秀隆(大野俶嵩)とともに入会。

下村は晩年に至るまでパンリアル展を発表の中心にすえることになるが、1945年から1955年にかけてはキュビスム的な群像表現から次第に鳥にテーマを集中させ、建築用の墨つぼを使用した鋭い線描による画面へと移行していく。1950年代後半頃から紙粘土を画面に盛り上げてレリーフ状にし、化石のような形象を表現し、独自の質感を持った強靱な作風を完成させていく。

下村良之介は12月30日、肺気腫のため京都市上京区の病院で死去した。享年75。